第4回  2007.march.1

金子信造

  1. 宇宙との調和

世界(宇宙)内存在である人間は、当然、宇宙の法則たる四つの力の支配下にある。  強い力と弱い力は量子論的世界の法則で、原子以下のミクロの世界である、生身の人間の意識的操作では操れない、巨大な装置を人との間に入れないと動かせない世界である。

 磁力と重力は古典力学的世界の法則である。生身の人間が操作しうる領域が広く、道具や機械が発明される前は、生の身体的操作のみでやってきていた。  とりわけ重力は、それなしには生殖細胞が分裂できないから人間は生まれることさえ出来ないが、人間がその支配のもとで逆らわなければ調和的に、意識的に操れる世界でもある。服従しながらの征服、従いつつの支配などといって、自然環境を開発してきた。人間の身体も重力に逆らっては、開発は出来ない。

  直立二本足立ちは、重力に調和するには、第一回で述べた吊身(スカイフック)で立つことである。それを結果から見れば、まず二本足の足裏を大地にペタリと乗せ体重を支えるだけの対抗力の基底面とする。脚は膝下には剄骨と緋骨があるが、剄骨に乗る。大多数の人が緋骨がわに体重を乗せるので、筋力で固めて立ってしまい余分な力を使い、経年劣化して筋力が弱まると、膝、腰に無理をさせてきていた分だけ痛みという罰を受けることになっている。

膝上の大腿骨、さらに上の骨盤を脊椎がその上に垂直に立てるように、真っ直ぐに立てる。そして首を直く頭(顔を鉛直に、仰向かず俯かず)を乗せ、肩は重力にしたがって素直に下げる。要するに、骨で立って、筋は微調整だけに使う。筋肉を骨と一緒にして固めないことである。筋肉を最小に使う。筋肉は1度緊張させると、次は緩めないと使えない。

物体には重心があるが、詳細は省くが人体では、身体を細分化して積分すれば、およそ個人差はあるが骨盤内面あたりで、ここを丹田と言っている.体の重力の安定点である。

  直立二本足立ちする前は、四足であったであろう、つまり後足で地面を後方へ蹴って、前足では地面を引き寄せて移動していた長い時間があった。前足が手になっても長い間に染み込んだ引き寄せる(屈筋の)働きが手の主動である事を引きずって、手を開放して自由に使う進化は始まって間がないのである。四足の前は海の魚で、手足はなく鰭であったであろう。鰭は方向など体勢の調整器官である。動力源は脊椎とこれに付着する筋肉である。これは四足でも、さらに二本足でも同様である。体力の発動元は脊椎(特に腸腰筋につながる腰椎)である。つまり、人間の力は丹田を安定点として、脊椎を発動元としているのである。  身体を宇宙の法則に調和させて使うには、大地から対抗力をもらい、丹田を安定点として、脊椎の発する力を、手と足を調整器官(動力器官ではなく出力器官)として、力みなく使うことが必要条件である.それに充分条件を付け加えるのが技である。

 

2.運足法の練習

   第2回で階段や下り坂を利用して、体重に乗るようにして移動する、運足の練習法を述べた。 平地で歩けるようになったら、私は天秤棒の両端に水を張ったバケツをぶら下げて、肩にかけて歩く練習をしているが、両手に水を張ったバケツをぶら下げるのでも良い、歩いて水がざわめいてこぼれなければ、丹田の位置が上下にブレずに安定して居る証拠である。顔面は鉛直に、膝は膝頭からの垂直線が爪先を越えない範囲で緩め、背筋を伸ばし、胸は張らない、肩は力まなければ自然に下がる。バケツの把手は子指、薬指、中指の三本で握り、人差し指、親指は握りこまず、虎口をやや内向させ(これには力はいらない、引き上げるような力感があったら操作ミス)、脇は自然に軽く開いている。腕はバケツが引くに任せ脱力している。これで逆ハの字並行前進の練習をする。

 「風帆の位」では爪先をかるく上げて、膝をえまし(脱力し)体重の前方移動につれて、後脚が前に振り出されスリ足裏垂直着地をする。その名のように体の上下動なく波静かな水面を風に乗って、船がするするとすべるように動く。

  「浮沈の位」は転身法である.まずその場での転回では、後ろを振り向き、この時両脚をえまして(スキーでかつてカービングスキー以前のウェーデルンでは立ち上がり抜重、沈みこみ抜重(浮身、沈身)で回転していた。武術ではスキーのような用具の進化はないから自分の身体操作だけで行う)体重が零の瞬間に向きを変える。(足裏垂直浮き、沈み。跳び跳ねないでその場回り)。

  撞木立ち斜め前方移動(三角に入り身)では両膝をえまして、相対し正中する中心線を外して相手の側面に吾が正中線を向けつつ前進する。

  足裏垂直浮き、沈みについては 「日本経済新聞」2007.1.7に「凍った路面通るときは…太もも歩きで転倒防ごう」の記事で北大の川初清典教授(生涯スポーツ科学)の研究に基づく提言で、太もも歩きでは足裏を垂直に着地,離地して体を安定に保持しやすい。転倒するのは「踵から着地する一般的な,かかと歩きは、踏み出した場合に体重が支えられなくなるためだ。」とある。  日常的な身体操法は時に不合理でありながら身に染み付いているものである。ここから脱皮して宇宙に調和する身体操法を、まず身につけることから始めなければ、技を支える土台なしの砂上の楼閣を築くことになってしまう。 

3.実技演習

@    交差取四方投げ(内旋)受けの腕の内側への入り身と外側への入り身

気結び  息を吸いながら、片手を掌を上向きで差し伸べ、受けに交差で片手で捕らえさせようとする。受けの手が触れてきたら、その腕の内側側面へ前脚を進め後脚はそれに連れて後へ踏み(円るく前進している)、正対する線を外す。受けの手が取の手首にかかる時、息を吐きはじめ吾が腕を正中線前で外旋すると受けの腕は内旋し受けは己の前方下に崩れる。(ここで取が受けの腕を掴み返す動きをすることが多いが、これは力みになりやすく、単なる人間動作から抜け出せない基だから、結びの感覚が分かるまでは掴まない、今は開掌でする。)フワリと崩れたら結べたと思ってよい。ガクンと崩れるようだと受けと力で対立している。(お互いが腕を引き合ったり、押し付けたり、停止してしまっているのは、単なる人間動作で論外とする)、取の腕は差し伸ばすだけでよい。吾が丹田に受けの重心を収め取る。

合気    取りの手は受けの手首の上に掌を下に向けて乗っているから、そのまま受けの手首の脈部に人差し指の指根を当て、小指と薬指とで握る。反対の手も添えて掴み、受けの崩れた体勢のままに、受けの腕を刀を振りかぶるようにして前進し、受けと取りの肩の中点を軸に外回りに転身して吾が正中線に沿って切り下ろす。(稽古の中では言ってきているが、記述してないので述べておく。取りの両腕は片手取りでも、取らせる腕だけでなく、空いている腕も活かして使う。刀を持っていなくても、両腕は刀の操法で使う。)

       受けの腕の外側への入り身は、上に準じる。

A    交差取り一教

B    交差取り二教

C    交差取り三教

D    交差取り呼吸投げ



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