13回   2007.Dec.6         金子信造

 何をテクストにしてるかについて質問された。前前回から引用している「記伝」は私の所蔵してる改造文庫、「本居宣長全集」第1巻、「古事記伝」(一)である。築摩版全集は所蔵してないので図書館で参照、宣長のもので現在購入可能なものに岩波文庫に「うひ山ふみ・鈴屋答問録」、「俳廬小船・石上私淑言」がある。また築摩学芸文庫「古事記注釈」全8巻、西郷信綱著も入手可能である。参考に平田篤胤の「古史徴改題記」、「霊の真柱」が岩波文庫で入手できる。国学の文献は絶版が圧倒的に多いので買えるときに買っておかないと手に入らない。儒学では伊藤仁斎、荻生徂徠が学問上特筆さるべきと思われる。仁斎は孔子や孟子を歪めたとして朱子学や林羅山を批判(古儀学)、徂徠は仁斎に私淑していたが中国語を中国音で読み(崎陽の学)中国思想の神髄に触れ和語で儒書を読んだ仁斎を批判(古文辞学)する。徂徠の「古言によって古意を得る」という学問の方法、古語を探求する事が古来の意を把え、事の本質を開く道であることを示した流れの中に、真淵や宣長(彼らは漢学の造詣も一流であった)の学問はあるのである。 

これら幕末の日本思想の偉人たちが我々に遺した教えは思想は言葉によってしか顕せない。(各)国語こそが(各)国の学問の根幹であるということである。(かつて印欧語が学問的に優れた言語であって日本語などは学問には適さないなどという、言語に価値的上下があるという非学問的流説があったが、これについてはソシュールの言語学に就いて述べる際に触れる予定である)これら儒学の文献は絶版ばかりで今の学生諸君は勉強の手がかりがない有様である。政界や、財界の需用がある処世訓的儒教関連書は書店の棚に満ちているのにである。

 今、私は勤務先での仕事が加重し、暇がないので続きは次回以降とするが、内容は時を見ての片々たる物になりそうである。それでも頑張って書くので読むで欲しい。

 

実技演習

 「むすび」がなければ技は、技たり得ず、身体動作にすぎない。

正面打ち一教、横面打ち四方投げ、片手取り一教および四方投げ、交叉取り四方投げでの「むすび」の稽古をする。対して触れた瞬間にむすぶ、これを体感することをめざす。     

                              以

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