合気コラム第2回

合気道がますます好きになった日

吉家世洋(葛飾合気会のトトロ)

2年ほど前、合気道の凄さを改めて実感する体験をした。

それは、早春のある日、有段者を対象に行われた、有川定輝師範の合気道特別講習会でのできごとだった。

講習は、合気道の基本構えの講義から始まった。参加者40人余りが4〜5列ほどに整列し、師範のご指導に従って構え、そのまま動かずに講義を聞いた。

全員白い道着に黒い袴をつけた40人余りが、青畳の上にきちんと整列し、真剣な面持ちで同じ構えをとった光景には、日常出会えない美しさがあった。

講習が始まって30分ほど経った。

師範のご指導は3種類めぐらいの構えの解説に進み、私は、列の前から2人目の位置で、おぼつかないながらも師範の模範を真似て構えていた。構えを保ったままお話を聞いていたが、ふと、うまくいかない仕事のことが頭に浮かび、思わず意識が半分方そっちにいってしまった。

そのとたんだった。静かだが、講義とは明らかに口調の違う有川師範の言葉が耳に飛び込んできた。

「馬鹿者。稽古中に余計なことを考えるな」

私は、ギクッとした。だがすぐに、

「まさか。いくら有川先生でも、おれの頭の中まで分るはずないぞ」

と思った。そこで、構えを保って顔は前に向けたまま、目玉だけを動かして師範を見た。

 何と、師範の視線はまっすぐこっちを向いていた。私に注意したのだ!

師範は視線をほかの誰かに移し、言葉を続けた。

「いったん道場に入ったら、仕事のことも家庭のことも、雑念はすべて意識から追い出せ。合気道だけに集中しろ。それが、基本の構えよりもっと以前の、稽古の初歩の初歩だ。

そんな当たり前のことがまだできない者、分ってない者は、段位なんぞ取り消しだ」

その言葉を途中まで聞いた時、首の後ろの産毛がザワザワッと逆立ち、全身が凍りついた。師範が、私とほかの何人かの、外見では分らないはずの意識の揺れを見抜いたことを直感したからだ。それは、実に鮮烈な、幾分凄みを帯びた体験だった。

あの時、有川師範の尋常でない感性の鋭さ、心の活動レベルの高さのようなものを確かに体感した。合気道を本格的に修行し、真価を会得すると、心が師範のような高みに登るにちがいない。それが合気道の凄さのひとつではなかろうか。

最近、あの時の有川師範の、凄みとやさしさが入り混じった独特のまなざしを思い出していたら、そうした合気道のすばらしさに、やっと気付いた。

私は、一生かかってもそんなレベルに到達できっこないが、真面目に稽古を続ければ、それなりには感性や心の活動が向上するだろう。

感性や心が多少なりとも向上すれば、自分の周りに、今とはまた違った世界が見えてくるだろう。それは、いったいどんな世界だろう。見てみたい。

そう思って以来、稽古のある日は、以前にも増して朝から心が弾むようになった。

 

困ったことに、収入にはならない合気道が、ますます好きになってしまったのだ。




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